和みスレで、各国からの応援メッセー紹介されていたので、
貼ってみましたv
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482 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/29(火) 07:17:58.35 ID:tskvH6nx
カイロに事務所を置く日本の独立行政法人が、
日本人職員を対象に東日本大震災の義援金を募った。
すると、エジプト人職員が集まって話し合いを始め、
全員が月給の1日分を寄付したい-と言い出したという。
食料品や家賃の上昇が続くエジプトでは、1日分の給料は決して小さな額ではない。
ムバラク前大統領退陣前後の騒乱から比べれば平穏になったとはいえ、
一部では治安が悪化し政治の先行きは不透明だ。
国民としては少しでも多く現金を手元に持っておきたいのが人情だろう。
それでも自発的に寄付を申し出てくれた人たちがいると聞き、目頭が熱くなった。
そのエジプトで先日、一連の騒乱で中止されていたプロサッカーの試合が再開された。
スタジアムには、アラビア語で「心は日本人とともに」と書かれた横断幕があった。
選手たちは、
騒乱の死者とともに日本の震災犠牲者を悼む黒いバンドを腕に巻いて出場した。
街を歩いていると、知らない人から「家族は大丈夫か?」
「日本人はすごい民族だ。すぐに復興するさ」と、心配と激励の言葉をかけられる。
おそらく世界中の日本人が同様の経験をしていることだろう。
こういうふうに思ってもらえること、
それこそが日本が営々と築いてきた“財産”なのだと、つくづく思う。(大内清)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110321-00000540-san-int
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1300698764/
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491 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/29(火) 10:03:38.74 ID:VD6/5g/e
ケニアのスラム街の子供達が日本の為に歌ってくれた歌に感動
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-871.html
************513 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/30(水) 00:03:18.34 ID:VdplPz0c
(´;ω;`)
タイ人から日本人への応援メッセージ動画がインターネット上に公開
http://www.youtube.com/watch?v=zgy8bFVWM2E
676 :おさかなくわえた名無しさん:2011/04/01(金) 07:07:26.10 ID:aoyJPF64
◆アジュマン首長国シェイク・アブドゥルアジズ・アル・ヌアイミ殿下(グリーン殿下)より
拡大アブドゥルアジズ殿下のメッセージ原文
日本へ、
アラブ首長国連邦のアジュマン首長一家を代表して
日本と日本のみなさまに力強い希望を送りたいと思います。
今回の災難では多くの方々に消すことのできない恐ろしい記憶を残してしまったことでしょう。
お子さんや若い方はつらい宿命を負わされることになりました。
破壊の記憶は消えることがありませんが、
「希望の手紙」はみなさんに以前の安定を取り戻すきっかけになると思います。
日本はさまざまな困難に直面しながらも一致団結して
知識と経済と法律と技術革新で急速に国を発展させた国です。
この「希望の手紙」はそんな偉大な国である日本を支えることを意図して書きました。
我々は日本が再建し、より良い未来とより強い国家を築くと信じています。
UAEの政府も人々も日本が大好きです。
日本の技術が好きなだけではなく日本人も日本文化も大好きなのです。
UAEと日本は多くの似通った点を持っています。
人々を敬う気持ち、家族のきずなを大切にすること、
長期的なビジネスの視点を持つことなどです。
“わたしたちの手は日本人の手と、わたしたちの心は日本人の心とつながっています”
希望をたずさえてください。
シェイク・アブドゥルアジズ・アル・ヌアイミ
http://astand.asahi.com/magazine/middleeast/interview/2011032000005.html
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728 :おさかなくわえた名無しさん:2011/04/01(金) 21:03:59.91 ID:xsIsX/7S
以前このスレのまとめにも載ったジョニー・ウィアー選手が日本支援Tシャツをデザイン
Johnny Weir and Tadashi Shoji Design T-shirt for Japan Relief
728
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740 :おさかなくわえた名無しさん:2011/04/01(金) 22:52:13.28 ID:6zp+R9Rt
【大震災】ドイツでのホームステイを、被災者へ
すでにドイツ全国から、500以上の受け入れ申し込み
今回の震災、津波、そして福島原発のニュースはドイツの人々の心を揺さぶった。
日本はドイツにとって、遠い国。
それでも、たくさんの人々が、あまりの惨状に「ドイツで、私たちにできること」を
無償で提供しようと動き出している。
南ドイツの古都、アウグスブルクのすぐ隣に、シュタットベルゲンという小さな町がある。
この町は、37年間、福島と友好関係にある。
人口1万5000人の市役所に、東北大震災以来、福島のために、
支援プロジェクトを展開している一人の職員がいる。
彼の名は、クリストフ・シュミット。ドイツ人の父と、福島県出身の日本人の母を持つ。
彼の両親は、友好関係の催しで知り合い、結婚したという。
市役所のホームページでは、市民からの支援を募っている。
シュミット氏の電話は、震災以来、
被災者のために何かしたいと申し出る人からの問い合わせで、鳴りっぱなしだ。
「アクティブに何かしたいが、何をしたらいいか、という問い合わせが多いです。
日本へ手伝いに行くよりも、こちらから、何か助けとなることをしよう、
というのが私たちのプロジェクトです」とシュミット氏は語る。
シュタットベルゲンでは、震災被災者のドイツでの受け入れを募っているが、
すでにドイツ全国から、500以上の受け入れ申し込みがあがっているという。
遠い日本の見知らぬ被災者に住まいを提供しようというのは、いったいどんな人達なのか。
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748 :おさかなくわえた名無しさん:2011/04/02(土) 01:15:44.31 ID:ygm2o8x9
うう…
>3/31読売新聞国際面「世界からエール/『恩返し』草の根支援」。
>「これは日本の被災者の役に立つでしょうか・・・。」
>ケニアで保健指導に携わ国際協力機構(JICA)の専門家は、
>支援先のい寒村の住民に声をかけられた。
>役立てたいというのは村で採れる豆だった。
>村は数年来の干ばつで深刻な食糧不足が続き、栄養失調の子も多い。
>そんな苦しみの中、村人たちはラジオで日本の震災を知り、
>自分たちでどんな支援ができるかを話し合った。
>そして村で採れる少ない作物である豆を贈ろうと思い至ったそうだ。
>日本が国造りを支援してきたアフリカの国々が、
>自分達にできる日本への支援を続々と申し出ている。
>遠く離れたアフリカからの励ましが被災地に届く事を願う。
>(ヨハネスブルク 中西賢司)
http://africaryu-kon-roku.blogspot.com/2011/03/blog-post_4880.html
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785 :おさかなくわえた名無しさん:2011/04/02(土) 17:42:40.36 ID:GQasLGPO
東日本大震災に対するパラオ大統領告示 [2011年03月23日(水)]
(意訳)
パラオ国民と政府を代表し、
私は、日本国民と政府、特に東日本大震災の被害者に対する哀悼の意を表します。
我々パラオ国民は、数千の命が失われたことに深い悲しみを持ち、
死者および不明者の家族に対して、心からのお悔やみを申し上げます。
日本との歴史的に深い関係により、パラオ政府および国民は、
日本国民に対して特別な同情の念と連帯意識を持ち、
困難な状況においても、パラオ国民は日本国民の勇気と回復力が
この悲劇の影響を乗り越えられることを確信しています。
パラオ共和国憲法に定められた権限により、
私、パラオ共和国大統領ジョンソン・トリビオンは、
2011年3月25日を日本における地震と津波の被害者に対して喪に服する国民の日と宣言し、
パラオ国民の同情と敬意を示すために、
パラオ国内および世界各国のパラオ政府機関に対し、
同日より5日間、半旗を掲げることを命じます。
2011年3月21日
大統領 ジョンソン・トリビオン
286 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/25(金) 23:05:43.32 ID:prhEHewG
【大震災】「日本はモンゴルにODAで一番支援してくれた」
モンゴル、全公務員に一日分の給料の募金を呼びかけ
東日本大震災に対して世界各国からの支援が相次ぐ中、
親日国モンゴル(人口約270万人)の政府が
全ての公務員を対象に 給料1日分の募金を呼びかける異例の対応をとっている。
これが一般国民や企業の自発的な募金運動に発展し、すでに1億2500万円以上が集まった。
モンゴルは24日に100万ドル(約8100万円)の義援金を日本に送ったが、
この募金を元に救援物資または追加の義援金による支援を検討している。
在日モンゴル大使館は日本への募金活動について
「日本はモンゴルが市場経済に移行した1990年代、
政府開発援助(ODA)で一番支援してくれた。国民みんなが感謝している」と語っている。
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290 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/26(土) 00:11:49.39 ID:awBXHpbD
アフガニスタン「日本支援するよ!」
東ティモール、ハイチ、スーダン、ルワンダ「僕らも支援する!」
途上国からエール続々 「日本の援助忘れない」
東日本大震災に見舞われた日本に対し、
世界各国や国際機関から支援の申し出が続いている。
「困難な時期に、日本国民が、われわれのそばにいたことを決して忘れない」
(アフガニスタンのカルザイ大統領)と、
日本が援助の手を差し伸べてきた発展途上国からのエールも目立っている。
日本外務省によると24日午後5時までに、
支援表明があったのは132カ国・地域と34国際機関。
1995年に発生した阪神大震災の際は、
被災1カ月後の時点で支援表明した国・地域、国際機関は計71。
これと比べれば倍以上のペースだ。
アジアでは東ティモールやアフガニスタン、中南米ではハイチ、アフリカからはスーダン、
ルワンダなども支援の意思を伝達してきた。
いずれも紛争や内戦、大地震の被災などで国情が安定しているとは言い難い国々だ。
スーダンは約800万円の義援金寄付を申し出たが、
具体的な支援にまで至っていないケースがほとんど。
「人的貢献ならできる」「必要なことがあるなら何でも連絡してほしい」
などの声が寄せられているという。
外務省幹部は、この十数年で各国が被災した際、
日本が積極的に国際緊急援助隊を派遣したり
資金面で支えたりした「実績」が、 多くの国からの支援を呼び込んだと分析。
「日本は世界各地で救援という名の善行を積んできた」と強調した。
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361 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/26(土) 22:34:50.55 ID:awBXHpbD
ザッケローニ「水曜日に日本に帰国する」
多くの人が日本からの脱出を果たす中、このイタリア人はあえて逆の行動に出た。
アルベルト・ザッケローニは安全なイタリアを離れ、
危険な場所へ向かおうとしている。
不安と恐怖を抱えながらも、ザッケローニは日本帰国の時を待ちわびているのだ。
-ミステル、多くの人が日本から脱出していますが、
あなたは逆に日本に帰ろうとしています。それはいったいなぜですか?
それは私が望んでいるからだ。本来だったら先週の水曜日には帰国しているはずだった。
だが日本サッカー協会から「もうしばらくイタリアで待機するように」と指示があった。
仕方なく今週水曜日の飛行機に乗ることにしたよ。
遅くとも木曜日の便には乗っているだろうね。
29日には大阪でチャリティマッチがある。
本来はニュージーランドと親善試合をする予定だったが、
Jリーグ選抜と試合をすることになった。
-こんな質問をして申し訳ありませんが、まだまだ日本の状況は不安定です。
どうしてそこまでして日本に帰りたがるのですか?
カルチョで日本国民に元気を与える。それが私の仕事だからだ。
カルチョが復興の助けになると私は確信している。
ともかく私は日本のために自分のできることをしに行くだけだ。
-まるで愛の病ですね。
ああ重症だ。私はこの7ヶ月間で日本人がどういう人々なのか思い知らされた。
何より驚いたのは、彼らが持つ「責任感」と「自己犠牲の精神」
そして「日本人としてのプライド」だ。
後略**********
362 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/26(土) 23:03:31.57 ID:awBXHpbD
【大震災】看護師試験合格のインドネシア人「被災地に行かせてほしい」
看護師国家試験に合格した兵庫県姫路市の
インドネシア人スワルティさん(32)が25日、
勤務先の姫路赤十字病院で記者会見。
東日本大震災に触れ「できれば(被災地に)行かせてほしい」と涙ながらに話した。
来日前はジャカルタ市内の病院に6年勤務。
平成16年のスマトラ沖地震では、現地で災害医療に携わった。
合格についてスワルティさんは
「すごくうれしい。たくさんの人に感謝しています」と笑顔で話し
「インドネシアが被災したときも多くの日本人が手伝ってくれた。
小さい力だけれど、手伝わせてほしい」と訴えた。
20年8月に来日。姫路赤十字病院で働きながら毎日8時間以上勉強し、
3度目の挑戦で合格した。
370 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/26(土) 23:57:58.38 ID:awBXHpbD
イラストで日本を救済するフランス発のプロジェクト「The Tsunami Project」(画像)
3月11日に発生した東北関東大震災における被災者救済のために、
カフェサレ(CFSL)と言うフランスのイラストコミュニティが中心となり、
ヨーロッパの漫画家やイラストレーター達がチャリティーオークションを計画しており、
日本の漫画家やイラストレーターからも作品を募集しております。
このプロジェクトに送られた作品は、選抜された後に作品集として販売され、
その収益はGive2Asia(アジア地域への慈善事業団体)に寄付され、
日本への人道支援の為に使用されます。
この「The Tsunami Project」には、とにかく見きれないほど膨大な数の、日本を悼み、
そして日本を心から応援するイラストが掲載されています。
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411 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/27(日) 16:00:05.17 ID:RlT0OfBh
【大震災】 米軍救援活動に密着 命懸け“トモダチ作戦”
米軍隊員「作戦を誇りに思う」 自衛隊員「米軍人も日本人も同じ気持ち」
▽画像:右腕には「OPERATION TOMODACHI」とともに
「友」「がんばろう日本」の文字が刻まれたワッペンが
411
▽産経ニュース
344 名前:名無しさん@十一周年 :2011/03/27(日) 10:50:10.92 ID:vZBusO800
アメリカのネットコミュに、この作戦に参加してる米兵の姉が
弟からの手紙というのを書き込んでいたが、
(超適当訳)
「姉さん、僕は今、軍隊に入って一番充実している。まずそれを知って欲しいんだ。
イラクで激しい戦闘も経験したけど、そんなのとは比較にならないよ。
僕は兵士だから命令されれば人も殺すし、他人の家だって破壊する。
だけど姉さん、それは僕が望んですることじゃない。
僕は兵士だから危険は覚悟してるし、それを期待してすらいる。
だけど姉さん、僕が望むのは人々の命を救う事なんだ。
この任務が終わったら、初めてまっすぐに姉さんに会いに行けると思う。
自分をごまかすための酒まみれの日々は、もういらない。
一緒に母さんのお墓へいこう。
今なら母さんも息子の僕を誇りに思ってくれると思うんだ」
なんだろう・・・この手紙を読むと、鼻の奥が痛く熱くなって
目から汗が流れてくる・・・
そして、心の底からありったけの気持ちをこめて伝えたい
ありがとう、アメリカ
永遠(とわ)の友情と愛をこめて
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424 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/27(日) 21:05:40.27 ID:WNbzB/f8
「兄弟の苦しみと同じ」 台湾の企業が被災地へ寄付
東日本大震災を受けて多くの日本人が抱いた思いは、外国人の胸にも込み上げている。
台湾の製薬輸入販売会社「順仁西藥行」が、
取引先の「佐賀製薬」(本社・基山町)を通じて100万円を被災地に寄付した。
佐賀製薬に1枚のファクスが届いたのは震災から1週間がたった日のこと。
順仁西藥行の張秋財会長(64)から
「100万円を贈るので、佐賀製薬の名前で寄付して欲しい」
という内容が記されていた。
同製薬の村山シゲ子常務は
「30年の付き合いがあるからこそ。誰にでもできることじゃない」と感心する。
順仁西藥行は、点眼薬を製造している佐賀製薬から年間約10万個の目薬を輸入。
東北地方との取引はないが、
張会長らは7年ほど前に観光に訪れたことがあるという。
従業員は15人。決して大きな企業ではないが、
「地震による日本の困苦は、自分の兄弟が苦しんでいるのと同じ」
と支援を申し出た。電話取材に応じた張会長は
「テレビで毎日震災の報道を見ている。
台湾からも応援しています」と話した。
思いを込めて日本語でしたためたファクスの最後はこう結ばれている。
「天佑(天の助け) 日本国 日本人頑張て」。
佐賀製薬に届いた順仁西藥行からのFAX
458 :おさかなくわえた名無しさん:2011/03/28(月) 18:00:37.47 ID:mfIRsvNh
【東日本大震災】英国人男性、帰国“拒否”
「仲間とサンマのぬたをもう一度食べたい」と被災者支援[3/28]
福島第1原発の放射性物質漏れで外国人の帰国が相次ぐ中、帰国を思いとどまり、
被災地の宮城県石巻市内に引き返した英国人男性がいる。
石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)で、
「仲間とサンマのぬたをもう一度食べたい」と話し、被災者支援を行っている。
93年に来日し、学生に英会話を教えてきた。震度6弱の地震が襲った11日は
大学の研究室にいたがケガはなかった。
「この街の魅力は人に尽きる」。18年暮らした港町は第二の故郷。
新鮮な海の幸をさかなに人々と酒をくみかわした。
石巻のサンマは「トロサンマ」と呼ばれ、脂が乗っている。
地元の食材に舌鼓を打つ姿に人々は親近感を覚えてくれた。
しかし、5メートルもの津波が街を襲い、
24日現在で行方不明者が1万人に上ると推定されるなど、
同市は甚大な被害に見舞われた。
良き相談相手だった金物店の夫婦は津波にのまれて亡くなった。
遺体が見つかった車に日本酒を注いで手を合わせ、親友の冥福を祈った。
「国外退避を手伝う」と在日英国大使館から17日に緊急連絡が入った。
英政府は福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告。
石巻市は退避勧告の対象外だが、津波の被害で電気も水もない。
周りの友人は帰国を勧めてくれた。用意された車で18日に仙台市のホテルへ。
震災後初めて見たテレビは、石巻市の惨状と住民の姿を映していた。
「おばあちゃんたちは元気に生きていた。腰抜けの自分が情けなかった」。
翌朝、東京行きのバスには乗らず引き返した。
現在は、石巻市内の避難所になっているホテルで、
家族の安否確認に来る人の応対やトイレの掃除などをしている。
「リーダー役も、力仕事も苦手。でも一緒にいれば何かの役に立つ」。
立ち直った石巻で、仲間と再び飲み明かせる日々を楽しみにしている。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/27/kiji/K20110327000510200.html
石巻専修大学 教員紹介 R.M.ハルバーシュタット
http://www.isenshu-u.ac.jp/general/university_guide/teacher/se/r_m.html